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みんな、もっとプラモデルを作ろうよ!

(プラモデル作るのが下手な人の、プラモデルとの上手なつきあい方)

ヘタクシズムのススメ


 皆さん、ちまたにあふれるプラモデル関係の雑誌を手にとって見てください!何とも美しく、精密に、芸術的に完成されたモデル達がその道の達人たちの手によって仕上げられて、誌面を飾っているではありませんか。それに考証の優れていること!古今東西の資料を発掘し、駆使して可能な限り本物の雰囲気に近づけた作品は、その美しい写真のなかで今にも動き出すのではないか、と思うほどです。

 でも、そのすばらしさには素直に驚嘆しつつも、「ああ、プラモデルは俺の手の届かないところへ旅立ってしまった…」という嘆息をつかずにおれないのは私だけでしょうか。

 例えばテレビチャンピオンのプロモデラー選手権なんかを見てしまうと、現代のプラモデルシーンはすざまじく先鋭化しているように私には思えてきます。タミヤのMMシリーズの成長と共に日本(というか世界中)のプラモデル製品の製造技術はここ2〜30年のうちに飛躍的に向上し、内容も複雑化して、子供がおいそれと手を出せるようなモデルは減ってしまっています。さらに、より高度なモデリングのために別売の改造パーツやエッチングパーツなどが次々と世に現れ、私のようなレベルファイターシリーズでプラモデルの面白さを知った世代からも多くの脱落者を生じせしめたのではないか、と想像してしまうのです。そればかりか、絶版キットのコレクションというジャンルまで発生し、今やプラモデルの世界はオタクの霧の中に霞んでいます。(勝手に思ってるだけ?)

 子供の頃というか長じては学生時代を通じて慣れ親しんだプラモデルはもっと「イイカゲン」なものでした。どこの街でもその辺の駄菓子屋に売っていたし、友達の家に遊びに行くと、たいてい崩壊しかけたプラモデルの完成品を一つや二つ見かけたものです。なかにはプラカラーで着色したものもありましたが、たいていは小遣いの都合で1〜2色を、一部分だけ、場合によっては勢いにまかせて全面に塗りたくってしまってノッペラボーになってるヤツなんかもありました。でも、それを作った本人は、一様に自分の作品にそれなりの愛着を持って勉強机の上に飾っていたりしていました。そういう「愛と夢にあふれたゴミ作品」はどこに行ってしまったんでしょうか。

 下手でもいい、失敗しててもいいじゃないか、というおおらかな精神は外に向けて発信することはもうできないのでしょうか。いいえ!

私はここに、「ヘタクシズム」を提唱いたします!

「ヘタクシズム」とは、つまり自分のスタンダードを作って、高望みをしない、ということであります。

 例えば私の場合で言えば、「塗装はできる限り筆塗り!」とか、「アンテナ線とか複葉機の張線は省略!」「金属部品はなるべく使わない!」「キャタピラを一枚一枚組んでいくなんて、そんな面倒くさいこと絶対にヤダ!」など、自分の作業上の境界線を設定するということなんですけどね。だって、手を入れようと思えばどこまででも入れられるけど、きりがないじゃありませんか。それに、そういうことをはっきりと自分で意識していないと、「アレをやってないから今どきの作品としてはヘタレだ」、などという他人の目(なんてものがあるのか?)が気になって、プラモデルに手がでなくなりますよ。プラモデルに作られちゃあいけません、プラモデルは作るもんですよ!

 つまりヘタクシズムとは、勤め人としての時間の限界、ローンを抱えた家庭人としての支出(といっても、プラモデルにかかる金なんて酒・タバコで浪費する人のことを考えれば微々たるものだけどね)の限界を踏まえ、それでもなおかつ完成品をそれなりにものにしよう、未完成で放置してあるモデルを増やさないようにしよう、欲しくてしょうがないプラモデルをつい衝動買いしてしまって「手つかずのプラモデルをコレクションするのがアナタの趣味なのよね」なんて妻に嘲笑されないようにしよう、という工夫であるとともに、作品の数を重ねるほど先鋭化していって、完成するまでに異常に時間がかかるようになるのを避ける、生活の知恵といってもいいでしょう。(でも要するに下手ってこと。)

 また、「今どきこんな下手くそな作品をアップするやつがいるんなら、俺も一つ作ってみるかな」とか「これなら俺でも作れるじゃん」という勇気を与えることがヘタクシズムを標榜する者のつとめだ、なんて思うんですよね。原点に戻って、久しく忘れてしまっていた作る喜びを味わおうではないか!とか。でも、たかがプラモデルを作るなんてそんなに大上段に構えるほどのものじゃないんだけどね。はぁ〜ちょっとバカバカしかったかな。




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